「静かな退職」を描き出す古典『バートルビー』の現代性

 読書

~ハーマン・メルビル『書記バートルビー』の考察~

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1. 古典に感じる「現代性」と記憶の利息

古典とされる文学作品を読んでいて、ふと「凄み」を感じるのは、そこに現代と共通する何かを見つけた時だ。

時代背景や価値観が異なり、描写も仰々しい古い文体の作品を読み通すのは、正直なところ苦痛なことも少なくない。「読み終えた満足感」だけで、本当の面白さが分からない作品もある。

しかし、何年も経てふいに、混沌とした深い記憶の中から浮かびあがってくる作品がある。 まるで、若い頃に忘れていた貯金が見つかり、驚くほどの利息がついて戻ってきたかのような、得した気分を味わえる。

私にとって、ハーマン・メルビルが、まさにそんな気になる作家として最近浮かびあがってきた。

『白鯨』や『バートルビー』は20代前半に読んで「何か凄い」とは感じたものの、自分の中でうまく消化できなかった。長い間、私の中では「古い作家と作品」として片付けられていた。

特に『バートルビー』を読んだ20代前半は、いわゆる就職氷河期の真っ只中でした。 当時の感想といえば、 「こんなやつが職場にいたら、即刻追い出されてしまうだろう」 という、あまりに現実的なものだけ。すでにカフカやカミュを読んでいたこともあり、不条理小説としてのインパクトも薄かった気がする。

しかし、古典的な名作は何気ない拍子に、ふいに何かを語りかけてくる。 そのきっかけが、最近よく耳にする「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉だった。

「静かな退職」とは? 会社を辞めるわけではないが、必要最低限の働きだけをして、それ以上の貢献や出世を望まない働き方のこと。

そんな会社員が増えているという話題に触れたとき、私の脳裏にある有名なセリフが思い浮かびました。

「わたくしはしないほうがいいと思います(I would prefer not to.)」

それが『バートルビー』のセリフだったことを思い出すまでに、少しもどかしい時間を要したが、カチリと歯車が噛み合った瞬間、作品がまったく違う表情を見せ始めた。

2. 『バートルビー』の新しい見え方

デリダやドゥルーズといった現代思想の巨人たちも考察した本作について、何かを語るのはやはり勇気がいる。バートルビーなら「やらないほうがよいと思います」と言いそうだが、現代的な視点から紐解いてみたい。

物語の舞台は、ウォール街の法律事務所。 書記として雇用されたバートルビーは、最初こそ普通に仕事をこなしていました。しかし、あるとき別の仕事を依頼されると、「それはしないほうがよいと思います」と静かに拒絶する。

やがて彼は本来の書記の仕事まで拒絶し、何もしなくなる。それなのに事務所には居座り続け、雇い主である語り手を激しく困惑させる。

資本主義の黎明期がもたらしたストレス

現在、この作品は「急速な資本主義・都市生活の変化に対して示された、漠然とした拒絶」として読まれることが多くなっている。

  • かつての生活: 農業や牧畜を中心とし、大変であっても自分のペースで働いていた。
  • 都市化された生活: 仕事を求めて都市へ流れ込み、自分の「時間(=自由)」を商品として売ることで生きる。

この変化が人々に与えた心理的負担は、想像以上に大きかったはずだ。しかし当時、その構造に気づけた人は稀だったのではないだろうか。メルビルはそんな時代の空気を、現実の不条理感として敏感に察知していたのかもしれない。

そう考えると、作中で「変人」として描かれるバートルビーの同僚2人の奇行も、現代でいう「労働ストレス」が原因とみることもできる。 また、語り手(ボス)が寛容さを装いながらも面倒事を避けようとする消極的な姿勢は、時代の急激な変化におびえているようにも映る。

居場所をなくしたサラリーマンの悲哀

仕事を拒みながらも事務所に残り続け、最後はその居場所すら奪われて息絶えるバートルビーの姿――。 そこには、定年を迎えて会社を去り、社会に居場所を失った現代のサラリーマンのような悲哀さえ漂う。

資本主義が変えてしまった社会の中で、人のつながりと生き方はどうあるべきか。 かつて若い頃の私にとって「単に不条理で理不尽な物語」だったものが、人生の経験をそれなりに積んだおかげで、ようやく深い意味を持って楽しめるようになった。

それでもなお、バートルビーがすべてを拒んだ「本当の理由」を、私たちが完全に理解することはできないのだが。

3. 「静かな退職」に潜む大きなリスク

バートルビーの行動は、現代の「静かな退職」そのものだ。しかし、現代におけるその理由は、彼よりも比較的わかりやすい。

昔から職場には「働かないおじさん」と呼ばれるシニア層がいた。しかし現在、それが若い世代にまで広がっていることが問題視されている。その理由は世代によって異なる。

  • シニア世代:組織に対する「諦め」 「正当に評価されない」「がんばっても給与が上がらない」。でも、辞めたら他にできることが無いという諦念。
  • 若い世代:働くことへの「魅力の不在」 「ワーク・ライフ・バランスの『ライフ』を最優先したい」「責任ある立場になりたくない」という思い。

私自身は、「余計なことをするな」「余計なことを言うな」と煙たがられ、転職も数度経験してきた人間だ。「仕事をするからには成果を上げねばならない」と考えるタイプゆえに、会社員時代の終盤では、確かに時代とのズレ(ギャップ)を感じていた。

それでも、私は「静かな退職」が楽な生き方だとは思えない。むしろ、非常にリスクの高い生き方だと考えている。

営利・非営利を問わず、組織は何らかの成果を求めて運営されている。 成果を生み出す対価として雇われている以上、「成果を生み出さない人間は必要ない」とされるのが組織の冷徹な現実だ。

与えられた仕事、決められた仕事しかできなければ、その仕事自体が消滅した瞬間に不要となる。組織が次の新しい仕事を与えてくれる保証はどこにもない。

ましてや、AI革命が凄まじい勢いで進む現在、いわゆる「楽な仕事」「ルーティンワーク」から真っ先に消えていく可能性があり、必要とされなくなる。

若い世代にとって「人生の長さ」と「時代の変化の激しさ」を考慮すれば「静かな退職」という守りの姿勢はリスクが大きすぎる。

結局、これからの時代を生き抜くために必要なのは、「自分でやるべきことを見つけ出す力」だ。そしてその力は、仕事を選ばずに立ち向かい、様々な経験を泥臭く積み重ね、それらを組み合わせることからしからしか見いだせない。

バートルビーは社会を「拒む」ことはできたが、その代わりに「自分がするべきこと」を見出すことはできなかった。

4. バートルビーと人間の実存

時代の変化、社会の変化を拒んだとしても、一人の人間がその濁流に抗うのは困難だ。 しかも、メルビルは小説の中で、その「抗う術」や「解決策」には一切触れない。そもそも濁流すら仄めかし程度だ。だからこそ、この小説はどこまでも不条理に見える。

バートルビーに一切の理由を語らせないことで、メルビルは読み手に対して「なぜ?」と、その意味を強く考えさせる。

人間はいつからか、何事にも「意味」を見出そうとするようになってしまった。 「生きる」ということに対しても例外ではない。

しかし、すべてを拒み、何もしなくなってしまったバートルビーは、最後には「生きる意味」そのものも見失ってしまったともいえる。

物語のラスト、語り手が放つあの切実な叫びが、現代を生きる私たちへの警告のように「意味」を問いかけてくる

「ああ、バートルビーよ! ああ、人類よ!」

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