「マーシーAI裁判」なぜ人類はAIの進化に明るい未来を見出せないのか?

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映画「マーシーAI裁判」を観て考えたこと

進化するAIと漂う不安

AI革命がこれほど騒がれているのに、人々はそこにあまり明るい未来像を見出せないでいる。どちらかといえばディストピア的な未来を予感して、必死にその不安を押し隠そうとしている気がする。

いずれにせよ、AIが生活に浸透してくることは避けられない。どのように付き合っていくかの判断基準をもっていないと、いつの間にかAIに生活を支配されていた、なんてことになりかねない。

私自身もブログ作成にAIを利用している。 最初はその一瞬の処理速度に感動していた。しかし、慣れてくると、その上手にまとめられた内容が、ありきたりで面白みに欠ける気がしてくるのだ。

現段階では、自分で作成した文章の校正と、編集のアドバイスをもらう程度の付き合いにとどめている。個人的には利益や効率ではなく、文章力を高めることが目的なので、これくらいの間合いがちょうどいいと思っている。相手(AI)がどう思っているかは分からないが。

世間では、複数のAIを駆使して生産性を格段に高めている事例がしきりに語られている。正直、そこで何が生み出されているのか、私にはよくわからない。分かっているのは、AIの開発と運用に、膨大な資金とエネルギー資源が費やされているらしいことだけだ。

そのようにして生み出されたAIは、すでにホワイトカラーの仕事を奪い始めているという。もし、膨大な投資の末にAIが生み出すのが「大量の失業者」だとしたら、世界はどう変化していくのだろうか。AIは、この不安を解消する回答を用意しているのだりうか。

AIが作り出したような世界

『マーシーAI裁判』が公開された際、私は「管理された社会でAIと人間が対立するような物語」を予想していた。確かに監視社会のディストピア感はあったが、どちらかといえば、それによって人間の愚かさや不合理さが暴かれていくストーリーであった。

しかし、基本的にはリアルタイムの緊張感と予想外の展開を楽しむ、ノンストップ推理アクション映画だ。とにかく最初から最後まで飽きさせないので、未見の方にも自信をもっておすすめできる。

主人公のレイヴンは、気がつくと拘束されており、妻殺しの容疑で裁判にかけられようとしていた。AI裁判官のマドックスを相手に、制限時間90分以内に「有罪確率」を下げる証明をしなければ、即座に処刑されてしまうのだ。レイヴンは断片的な記憶を頼りに、AIのデータベースを利用して事件の真相を解き明かそうとする。

次々と浮かび上がる意外な事実に状況は刻々と変化し、真相が明らかになると同時に、さらなる深刻な事態が引き起こされていく。

一瞬も飽きる隙を与えないその構成は、それこそ「観客の注意をそらさないためのアルゴリズム」によって作られたかのような作品だった。

AIと友情

AIが間違えないことを前提とした裁判に、もし自分がかけられたらと想像すると恐ろしい。私は絶対に90分では無罪を証明できず、処刑されてしまうだろう。

映画の主人公は刑事であったため、捜査方法や手段を熟知していた。さらに、AI判事(弁護人的な役割も担うアバター)のマドックスも協力的だった。レベッカ・ファーガソンが演じるこのマドックスこそが、本作の大きな魅力となっている。

AIによる生成画像であるはずのアバターを、実在の俳優が演じるという複雑さが、いかにも映画的で観客を心地よく混乱させる。無表情にアルゴリズムで判断するマドックスは、丁寧でありながら冷酷に感じられる。しかし、次第に感情がないはずのAIに人間らしさを感じ始め、主人公との間に友情らしきものが芽生えてくるプロセスには、俳優の見事な演技力もあって感動的だった。

最近の映画は、ショート動画に慣れた観客を飽きさせないためか、とにかく展開が早い。この作品はこちらの理解が追いつくギリギリのレベルのさらにハイスピード展開だった。それこそ「AIならともかく、人間の脳にはこれが限界」と思えるほどのスピード感だ。

AIの時代をいかに生き延びるのか

映画では、AIと人間は友好的な雰囲気でラストを迎えた。 私も、AIが『2001年宇宙の旅』の「HAL 9000」のように誤りを認められずに反乱を起こす、とまで極端に恐れているわけではない。

技術の進歩は確かに人類を豊かにしてきた。それはその都度、新しい技術の普及に合わせて人類が社会をつくりかえてきたからだ。技術革新によって古い仕事や既得権益が奪われ、新しい社会が生まれる。これまでも繰り返されてきた社会変化に、私たちはただ身構えているだけかもしれない。

しかし、問題はAIの生み出す「圧倒的なスピード」にあるのではないか。 これまでの歴史的な変化は、それでも人類に対応する時間(猶予)を与えてくれた。しかし、AIがもたらす社会変化スピードに、人間の身体や心はついていけるのだろうか。目まぐるしい映画の展開を思い出すと、そんな疑問が湧いてくる。

また、映画の主人公は冤罪を免れることができたが、もし処刑された後に真実が明らかになったとしたら、その責任はだれが負うのだろうという疑問が残る。

実際、AIに責任能力はない。利用した人間が責任を負うしかないのだ。

これまでの人生で、私は何度も誤った判断をしてきた。それでも、自分で決めたことだからと納得はしている。しかし、AIによって先導される世界が、もし「責任の曖昧な世界」であったとしたら、私たちは一体どう生きていけばよいのだろうか。

AIがというより、AIを先導する人々の言動に、そんな不安を覚えるのは私だけだろうか。

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