戸隠の鬼女「紅葉」の悲劇?能「紅葉狩」の伝承と物語を再構築して探る美学と楽しみ方

芸術
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秋の紅葉

舞台芸術として特異な能の世界

舞台芸術全般に対して関心が薄く知識も乏しい私ですが、に関しては独自の楽しみ方を見つけています。

先日、11月16日に長野県伊那文化会館で開催された「第34回伊那能」で、能「紅葉狩 鬼揃」を鑑賞しましたので、その楽しみ方を紹介します。

能は謡と囃子と舞で演じられる歌舞演劇です。しかし、簡素化された舞台、表情のない面など、室町時代に成立した古典芸能でありながら、前衛芸術のように抽象化されており、それが「わかりにくさ」の原因になっています。

多用される「見立て」や説明の省略は、現代人が何の知識もないままでは歯が立ちません。知識があったとしても、眠気に襲われることも少なくないでしょう。

「幽玄」は靄(もや)の向こうに

「幽玄」は能や世阿弥について説明される際に必ず出てくる言葉です。

感覚的に日本人ならわかる気もするのですが、言葉にして説明しようとすると難しい。

私はこの「幽玄」という言葉を聞くと、かつて登山中に霧が突然深まり、視界を完全に隠されてしまった時のことを思い出します。厚みも重みもない白い靄に足止めされ、動けなくなってしまったのです。その向こうに道や木々、岩々があるのはわかる。ただ、見ることができないために、先に進めない

能の世界も、この靄の向こう側のように、簡単には近づくことはできません。

能の舞台で表現されるのは遠い過去の世界で、語られるのは死者たちの見る夢だと私は捉えています。死者たちには感情がなく、夢には脈略がありません。彼らが過去の出来事を断片的に再現しているのです。

そのように舞台をとらえ鑑賞すると、感情移入することもできず、現実感が希薄になります。舞台が終わると、突然に眠りから起こされた時のように、夢と現実が区別つかないような感覚に襲われます。

**「いったい、今見たものは何だったのだろう?」**という強烈な謎だけが残されるのです。

能の醍醐味は鑑賞後にこそある

鑑賞後に多くの謎が残されること、そして自分が感じたものをうまく説明できないもどかしさこそが、私の能の楽しみ方の出発点です。

これらの謎を解消するためには、鑑賞した物語を自分なりに解釈し直す作業が必要となります。そのために知識が求められます。

作品が作られた当時なら共通知識として説明も不要だった情報が、時代を経るにつれ失われてしまいます。能が庶民ではなく、権力者階級に好まれるようになったのも、鑑賞にこうした古典や伝承、歴史に対する教養が必要とされたからでもあるのでしょう。

そのため、物語の素材や、人物の歴史的な背景を調べる必要があります。

ロマンスからアクションへ:能「紅葉狩」の筋書き

ここで簡単に、今回鑑賞した能「紅葉狩」のストーリーを紹介します。

舞台は信濃の国(長野県)の戸隠山です。(舞台には飾りの紅葉山がぽつんと置かれます)

  1. 【前半】 高貴な女性とその侍女たちが現れ、紅葉を楽しむ酒宴を催します。(高貴な女性は侍女たちより若々しく美しい所作)そこへ狩りをしていた**平維茂(たいらのこれもり)**一行が通りかかります。(維茂は若武者のような印象を受けました)
  2. 維茂は酒宴に招かれますが、女性に素性を問うもはぐらかされてしまいます。やがて舞に惑わされ、酒に酔わされて眠り込んでしまいます。(維茂と女性の間に、何かあるようなロマンス風の雰囲気が漂います)
  3. あでやかだった舞と囃子は、維茂が眠り込むと激しいものへと豹変し、女たちは姿を隠します。(この転調で観客の眠気も覚めます)
  4. 【後半】 眠り込んだ維茂の夢の中に使いの神が現れ、戸隠山の鬼を退治せよと八幡神の勅命を伝え、太刀を渡します。
  5. 目覚めると、女たちは鬼の姿に変じて襲いかかってきます。維茂は太刀を抜いて迎え撃ち、最後は逃げようとする鬼(高貴な女性が変じた姿)を、紅葉山に追い詰めて背後より切り伏せます。

前半は謎めいたロマンス風で、後半は派手なアクションと、能が娯楽として楽しまれていたのがわかる筋書きです。

しかし、「鬼はなぜ維茂を襲ったのか?」「鬼が女性に化けていたのか、女性が鬼に変化したのか?」など、背景が詳しく語られないために多くの謎が残されます。

これらの謎を考察し、平維茂や戸隠の伝説などを調べることこそが、私が能を観る醍醐味なのです。能を観始めた頃は図書館や百科事典で調べる必要がありましたが、今はインターネットがあるので楽になったものです。

平維茂と「紅葉伝説」という背景

物語の背景をさらに深掘りしてみましょう。

平維茂(余五将軍)について

維茂は平安中期の武将で、余五将軍と呼ばれた武勇を誇った人物です。『今昔物語』にもかなり激しい戦いぶりが記載されています。その際、敵の男は容赦なく討伐するものの、女性は助けて肉親の元へ送り届けるなど、女性には優しい人物としても知られていたのかもしれません。室町時代には、鬼を倒せるぐらい強い伝説の武将として知られていたと推測されます。

将軍塚
 上田市別所温泉 

「紅葉伝説」と鬼

長野県の北部には「紅葉伝説」と呼ばれる鬼女の伝説が伝わっています。鬼無里(きなさ)地域の言い伝えを元にまとめると、京を追われた**呉葉(後の紅葉)**は、才媛として地元住民に慕われました。しかし、人間離れした美しさと才能のせいで呪いや妖術を使うとされ、戸隠の鬼の伝説と結びつき、鬼女とされてしまいます。そして、京より討伐に差し向けられた平維茂に討たれてしまう悲劇の物語です。

伝承で紅葉は「貴女」でもあり「鬼女」でもあります。この争いは、地方の反乱と朝廷の鎮圧の争いが、二人の伝説として語り継がれているようにも見えます。

鬼女伝説

伝説を踏まえた「紅葉狩」の新解釈

歴史や伝承を調べ始めるときりがありませんが、ここまで調べると、単なる鬼退治の英雄譚が、なんとなく悲劇の要素も帯びてきます。能では鬼として扱われる紅葉という女性が、意外と興味深い人物でした。

また、「紅葉狩」というタイトルが二重の意味を帯びてきます。

それでは、これらの情報を踏まえ、能「紅葉狩」の物語を、自分なりに再構築してみます。

新解釈:京のあこがれと刹那のロマンス

紅葉(呉葉)は京にいた頃、あの平将門討伐に加わった源経基の側室でした。彼女は経基から、武勇と人柄を誇る平維茂の名を耳にし、密かにあこがれていました。

鬼退治の勅命を受けた維茂は八幡神に祈願して信濃に出ますが、鬼はなかなか現れず、退屈しのぎに戸隠へと狩りに向かいます。

京を追われた紅葉は、住民に慕われながらも京の文化を懐かしみ、自分を貶めた人々への恨みを募らせていました。その心の隙をいつしか戸隠の鬼が蝕んでいたのです。秋も深まり寂しさを紛らわそうと、紅葉は紅葉狩りに出かけます。

宴の場で紅葉は維茂一行を招き、もてなしました。京の思い出を語り合ううちに、二人は互いの魅力に惹かれあいます。紅葉は名を明かさぬまま、維茂を酒と舞で惑わせますが、維茂の語りから、彼が自分が密かにあこがれた人物であり、かつ戸隠の鬼を討伐に来たことを知るのです。

途端に雷鳴が響き暴風雨となり、紅葉の中の鬼が姿を現わし、維茂を殺そうと変化します。

眠りに落ちた維茂は夢で、八幡神の使いに紅葉の正体が鬼であることを告げられ、討伐の太刀を授かります。

間一髪で目覚めた維茂は、太刀を抜いて応戦し、侍女たちの変化した鬼を打ち倒します。残る紅葉の変じた鬼と格闘しますが、八幡神の加護を受けた維茂に対して分が悪くなった鬼は、逃げるふりをしてだまし討ちを謀りました。

その時、紅葉の**「人の心」が、鬼となってしまった自分を恥じる心と、刹那に交わされた維茂への想い**から、鬼の動きを封じたのです。その隙をついて維茂は、太刀を浴びせ、鬼となった紅葉を討ち取るのでした。

結び:能の楽しみ方と伝承

このように「幽玄」の中から、物語が現れます。

能はわからないからこそ、鑑賞後に深く調べ、自分なりの物語を再構築するという楽しみ方があってもよい気がします。長野県には紅葉と維茂の二人を一緒に祀る場所もあるそうなので、昔の人々も同じ思いをこの物語に抱いたのかもしれません。

いつか訪れてみたいですね。

パンフレット

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