絶筆に託された想い。川瀬巴水が旅の果てに残した「喪失の美しさ」と独自の美学

美術館にて

現代的な色彩感と失われた情景

川瀬巴水の作品に初めて接したとき、私は現代アーティストの作品だと、あるいはCG作品かもしれないと見間違えていました。

作品は「雪の金閣寺」でした。青と白で表現された世界は、静謐で美しく、それでいて新しく感じられたのです。

しかし、調べてみると、それは大正時代の作品で、描かれた金閣寺は焼失して再建される前のものでした。

巴水のことを知ってからも、その作品は、現代のイラストレーターがあえてレトロ感を出そうとしたかのように見え、明治生まれの版画家の作品とは、とても思えませんでした。

巴水の描く風景は、たしかに古い。今では失なわれてしまった情景ばかりです。懐かしさを感じさせるのに、それでもなぜか新しさも感じさせられてしまう。

その秘密は、作品を形作る色彩感にあるのではないでしょうか。

川瀬巴水の「誘惑」と展覧会の魅力

以前、金枝篇について調べていた際、ターナーについて検索していると、なぜか上田市で開催されている「川瀬巴水展」の情報が見つかりました。両者に共通点はないはずですが、興味を惹く情報を引き出すアルゴリズムとは恐ろしいものです。

川瀬巴水の展覧会は、昨年、八王子市夢美術館で開催された際にも行きました。上田市は遠方のため宿泊が必要となり、退職を控えている身として**「今回は見合わせよう」**と一度は考えました。

しかし、展覧会の会期が終わりに近づくにつれ、気になって仕方がなくなりました。結局、私は旅に出ることになりました。

やはり、優れた芸術作品は人を惹きつける。私はどうしてこうも巴水の作品に惹きつけられるのか理由を深く知りたいと思ったのです。


圧倒される、旅の記録と作品の質・量

サントミューゼ上田市美術館で開催された「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」展は、資料を含め300点近い展示があり、大変見応えがありました。正直なところ、作品数の多さに、後半は集中力を保つのが難しくなるほどでした。

初期から晩年にかけての巴水の作品が網羅されており、震災や戦火がありながら、これだけ多くの作品が良い状態で保管されていることにも感動しました。

2時間ほどかけて館内を巡り鑑賞を終えると、目は疲れ、腰や膝にも痛みを感じました。

しかし、現代よりはるかに交通の便が悪かった時代に、画題を求めて旅をつづけた巴水のことを思うと、その作品を鑑賞するのにこれくらいの苦労はあっても良いのかもしれない、とも思うことにしました。

旅情と詩情を醸し出す、巴水の繊細な色彩

同じ版画作品であっても、巴水の作品は、江戸時代の浮世絵のようなあからさまに凝った構図や色彩の誇張はありません。

各地の名所も描いてはいますが、当時そこに暮らす人々にとって当たり前であったはずの情景が多いのです。

名所などとは異なり、これらの情景は今ではほとんど失われてしまいました。だからこそ、そこには巴水が残さなければ、誰にも気づかれずに忘れ去られてしまったであろう**「喪失の美しさ」**があります。激しく変動する時代の流れの中で、巴水は旅しながら、この美しさを無意識のうちに感じ取っていたのかもしれません。

何気ないようで工夫され尽くした構図、巴水の詩情を表現する彫師や摺師による高い技術など、1枚1枚探るにはきりがありません。

ここではやはり色彩について掘り下げてみます。

作品に施される色彩は、木版画ならではの柔らかさと優しさがあるにもかかわらず、輝くように鮮やかです。

その繊細で計算され尽くした色彩が、静かな情景の中で、風や波の音、雨や雪の音を、観る者に感じさせます。巴水の作品が持つ詩情は、その色彩に負うところが非常に大きいと言えるでしょう。

時代により失われた技術と、独自の美学

巴水の作品は、時代の流れの中で失われゆく情景を、失われゆく木版画の技術で表現しています。

同じ版画作品でも、北斎や広重の作品と、巴水の作品では、時代において求められた役割が異なります。

浮世絵の役割は、今でいう広告、パンフレット、ポスターのように商業的な要素が強かったため、誇張された表現も多く見られました。

しかし、近代化の中で印刷技術や写真技術が海外から導入・発展したことで、版画の役割は変わってしまいました。印刷なら版画よりはるかに大量に早く複製でき、写実性では写真にはかないません。

だからこそ、巴水は色彩にこだわったのではないでしょうか。

モノクロの印刷物や写真にはない、色彩の生み出す情緒を追求したのだと思います。だからこそ、巴水の作品は、現実の景色にはない、そこに何か物語を感じさせるような芸術的な美しさがあるのです。

終わりに:巴水が残した、新しさと美しさ

その時代だからこそ生み出され、そして失われてしまった美しさを、私たちは作品として観ることができます。

川瀬巴水は古い景色と失われゆく技法で、新しさを表現していたのです。

絶筆といわれる「平泉金色堂」の、降り積もる雪のなか、石段を上る旅人の小さな後ろ姿は、過行く時代の中で独自の道を歩み続けた巴水自身が、役目を終えて静かに去っていくように見えます。今でも多くの人々を惹きつける作品だけを残して。

旅路の情景

せっかく上田市に来たので、観光も楽しんできました。市内の上田城跡公園や、別所温泉の北向観音を散策しました。

時折、それらの情景が、まるで巴水の版画のように目に映る気がしました。

上田市別所温泉にて

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