
スティーヴン・グリーンブラット著(ちくま学芸文庫)
知識による人類の進化
1417年、千年近く失われていたルクレティウスの『事物の本性について』が、ポッジョ・ブラッチョリーニによって発見された。キリスト教が絶対的な価値観であった中世ヨーロッパにおいて、その発見は、やがて決定的な影響を世界に与えることになる。
知識に対する好奇心が、失われるはずだった一冊の本を救い出す。そこに記された思想は世界を揺るがし、文化の発展をもたらした。その過程が歴史ドキュメンタリーのように描かれた本書を読み終えたとき、時空を超えた知的好奇心が、宇宙空間のように膨張していくのを感じるだろう。
人類が進化できたのは、言葉による知識の共有があったからだ。そして文字の発明により、知識は**「時間と空間」**を超えて蓄積されるようになった。しかし長い歴史の中で、永久に失われた知識もまた膨大に存在する。災害だけではなく、支配者にとって不都合な知識は制限され、時には弾圧され、抹消されてきたからだ。
IT技術が発展し、情報の海に浮かぶ現代であっても、国家による情報統制や、SNSでの「炎上」による言論の萎縮は存在する。正しい情報が消されてしまう恐れとは、常に隣り合わせだ。しかし人類の知的好奇心は、時に恐怖を超え、知識を次の時代へとつなぎ続けてきた。
知識をつなぐ歴史的役割
ルクレティウスやポッジョが、政治家や軍人のように歴史の表舞台で大きく評価されることは稀だ。しかし彼らが果たした役割は、計り知れない。
- ルクレティウス:古代ギリシャのエピクロスの思想を「詩」という形で結晶化し、後世に残した。
- ポッジョ:埋もれていた写本を見出し、その価値をルネサンスの知性たちへと伝えた。
彼らを通じて蘇ったエピクロス派の思想は、キリスト教的価値観に束縛されていた世界にパラダイムシフトを引き起こす。彼らが存在したからこそ、ヨーロッパはルネサンスを経由し、現代へと至る先進社会を築くことができたのだ。
キリスト教世界と現代社会の停滞
本書で描かれる中世キリスト教は、激しい異端弾圧や腐敗など、容赦のない描写がなされている。その中で、人文主義者ポッジョが制約をすり抜けながら写本を探し出す過程は、スリリングなドラマのようだ。
中世の旅はそれ自体が命懸けであり、異端とされる思想に触れることは社会的地位を失う危険を伴った。それでも新しい知識を求め続けた彼の姿には、人類のあるべき理想が体現されており、深い感動を覚えずにはいられない。
翻って現代社会はどうだろうか。ネットを通じて多様な価値観に触れられるはずが、アルゴリズムによって「都合のよい情報」だけに囲まれ、新たな思考停止に陥っていないだろうか。情報の砂漠に埋もれた「新たなルクレティウス」を探し求める好奇心を、私たちは持ち続ける必要がある。
『事物の本性について』との再会
私の手元には、以前購入して放置していた岩波文庫版のルクレティウス『物の本質について』(※)がある。当時は全く意味が分からず投げ出してしまったが、本書を読んだ今、以前よりも興味深く読み進めることができた。歴史的背景を知ることで、ようやく私の知的好奇心が追いついたのだと感じる。
本書の真の価値は、著者グリーンブラット自身がルクレティウスに出会ったように、読者である私にもその思想を「再発見」させてくれたことにある。
知識に対する好奇心は、数千年の時を超えて連なっていく。その連鎖の一部に自分も加わったのだと思うと、歴史の長い旅を引き継いだような感動を覚えずにはいられない。
※岩波文庫版のタイトルは正確には『物の本質について』(樋口勝彦訳)ですが、記事内では文脈に合わせて適宜調整しています。

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