🌌 原作ファンの期待と不安
原作のファンとして、期待半分、不安半分で映画を観てきた。 原作がSF小説の中でも歴代ベストクラスの傑作だけに、映像化にはどうしても身構えてしまう。小説や漫画の映像化は、ストーリーの簡略化や改変がつきものだ。中には設定だけを借りた別物になってしまうケースもある。
映像化の評判が芳しくないと、大切にしている原作の価値まで貶められるような気がして怖かったのだが、今回の映画は原作読者もしっかり満足し、楽しめる作品に仕上がっていた。
むしろ原作読者だからこそ楽しめたかもしれない。
🚀 ストーリーを彩る友情と、省かれた科学
宇宙船で目覚めた主人公は記憶を失っており、それを取り戻すにつれて、自分に課せられた重大な任務を知ることになる。孤独な闘いを強いられる彼の前に現れたのは、目的を同じくする「意外な仲間」だった。
原作の魅力である緻密な科学的説明は、映画ではかなり削ぎ落とされている。未読の方には、少しご都合主義に見える場面もあるかもしれない。「アストロファージ」の特性や「ロッキー」の生態について、もう少しSF的なリアリティを補強する描写があれば、より深みが増しただろう。
しかし、地球パートでのストラッドとの関係は、俳優の熱演によって使命感、倫理観、そして友情が入り混じった複雑な感情が見事に表現されていた。ライアン・ゴズリング演じる少し頼りない主人公と、ロッキーとのユーモラスなやり取りは、映画ならではのテンポの良さがあり、存分に楽しめた。
🪐 「物足りなさ」の正体
もしこの作品をクリストファー・ノーランやスタンリー・キューブリックが監督していたら……と思わず想像してしまう。もっと難解で、重厚なテーマを秘めた傑作になっていたかもしれない。
原作に漂っていた、宇宙空間の果てしない距離と時間による「圧倒的な孤独感」。そして、生命や生態系の神秘性。それらが映画ではかなり希薄になっていた。
『インターステラー』や『2001年宇宙の旅』と比較するのは酷だが、原作が素晴らしいだけに、心のどこかで同レベルの衝撃を期待していたのかもしれない。見やすくて面白い。だからこそ、どこか物足りない。そんな贅沢な悩みを抱えてしまった。
📦 友情の距離
ハードカバーの原作本は、今、私の手元にはない。 遠方に住む友人に送る荷物の中に、段ボールの隙間を埋めるのにちょうど良かったから、そして何より最高に面白いからと、お節介ながら放り込んだのだ。
その友人とは、コロナ禍以降一度も会っていない。互いに環境が変わり、住む場所も遠く離れてしまった。会いに行くには泊まりがけの準備がいる。なんとなく、もう二度と直接会うことはないかもしれない、とさえ思っていた。
けれど、映画を観ながらその友人のことを思い出した。 私たちの距離は、グレースとロッキーのいる場所に比べれば、決して遠くはない。
会いに行く気持ちさえあれば、いつでも行けるのだ。そんな当たり前のことに、ふと気づかされた。


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